1868年 佐賀県嬉野市にて酒造りを始める
「虎は我が児を思う情けが非常に深い,その虎の児のように情けをかけ長く愛飲してもらいたい。そして千里を走る虎のように、その名が広く響き渡るように」との願いを込めて |
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三代目は、與四七郎は、慶應大学卒業後、銀行に勤務したが、家業を継ぐため嬉野へ帰る。昭和10年(1935年)妻光枝と子供4人を残して36歳の若さで他界。 |
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その後、妻光枝は又次郎に仕え家業に勤しむ。 |

昭和42年頃與四七郎の長男鐵太郎嬉野へ帰郷。家業には携わらず、妻洋子が家業に従事することとなる。昭和47年 光枝69歳 他界するも長男鐵太郎は、銀行勤務を続け家業は妻洋子が継ぐ事となり現在に至る。 |
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2003年 JAXA『はやぶさ』の性能計算書(飛翔実験計画書)の表紙として使用される


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